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神戸児童連続殺傷事件・少年A / 新潟少女監禁事件

事件から まもなく 10年が経過しようとしている。  事件発生 1997、5.27・平成9年。

酒鬼薔薇聖斗・・・と名乗った少年A。 当時14歳の中学生だったということ。
殺害された2人の被害者の立場。   少年Aの両親は知らなかったのか? 
気付かなかったのか?  

本文より、少年Aの事件当時の行動や、経緯を書きます。
興味の有る方は続き読んでみてください。 
これはタエが本を読んだ感想です。  皆さんはどう思われるか。 

平成16年3月10日  少年A 仮退院。  

あの忌まわしい事件が起こったのは 【平成9年】1997年5月27日・火曜日 報道された日。
 実際に少年が殺されていたのは報道される前の24日で、殺害され行方不明になっていた。 
その前・・・ 2月には1番目と2番目の被害者の女子小学生2人がショックハンマーで殴られ負傷。
3月には小学3年生の女児の腹部刺し重傷。 また同じ日 4年生の女児がカナヅチで殴られ死亡。
 少年Aは2人を殺害、2人を負傷させた容疑となる。 

当時・・・・ 黒いビニールの男が目撃され本当には存在しなかった人物だったり。 
       目撃証言ほど当てにならないもんだなぁ?と思う。 
良く耳にした・・・・「さあゲームのはじまりです。」 「バモイドオキ神」 「酒鬼薔薇聖斗」 「少年A」
           「タンク山」 「友が丘中学校」 「須磨区」 「アンテナ基地」
 
土師 淳君を殺害した動機 と 殺害方法 と その後の行動
捜査言一課のベテラン刑事による取調べが始まった。 ⇒ ⇒ 土師 淳君には恨みなんかないと自供。
淳君とはよく遊んでいたのに、ちっちゃい頃からよく遊んでいたらしいのに・・・。   
青い亀を見せてやるからって、嘘をついたら淳君がついてきた。  
チョコレート階段を歩いてタンク山に行き、淳君の首を手でしめて殺した。   殺害した後、死体は1日中ずっとタンク山のアンテナ塔のところに置いた。   タンク山には鍵がかかっていたはずだったが、金鋸と鍵を近くのコープでを万引きし、それらを使い中に入った。   淳君の死体を中に移してから新しい鍵をつけなおす。 淳君の首は25日の白昼に切断された。  血が流れ出すのを防ぐために持ってきた
ポリ袋を U字溝に敷いて落ち葉の中に隠しておいた金のノコギリと、ナイフを使って。
次の瞬間・・・ 「よくも殺しやがって 苦しかったじゃないか」としゃべるのを聞いた。 
「君があそこにいたのが悪いんだ」 と言い返した後 「死体にまだ魂が残っている」と思い小刀で
淳君のまぶたを傷つけた。 そうする事で魂を取り出せると考えたらしい。  少年Aはポリ袋に溜まった血を口にふくんだ。   その理由を捜査関係者に ⇒ ⇒ 「僕の血は汚れているので 純粋な子供の血で清めたかった」 と語った。  幼い子供の命を奪って気持ち良いと感じている自分自身への嫌悪感があったと話している。  少年Aは人目につかない場所で 「鑑賞」 しようと思い、もう1枚のポリ袋に
頭部を入れ、遺体の残りの部分をタンク山のアンテナ基地の床下に隠し、金のノコギリは補助カバンに
しまった。  タンク山を降りたふもとの林に囲まれた所でポリ袋から頭部を取り出し眺めてみた。 
思ったほどの感動はなかった・・・・そう少年は話している。    少年は頭部を黒いポリ袋ごと自転車のカゴに入れて自宅に戻る。   家には誰もおらず、そのまま風呂場に運びポリ袋の中の血を流した。
殺害現場を特定されないように頭部に付着していた土や葉を洗い流した。     その夜、家族が寝静まるのを2階の自室で待ち27日 午前1時過ぎに天井裏に隠しておいた頭部を取り出し、補助カバンに入れ、部屋にあった電気コードを使って窓から庭へおろし、階段から降りると音がするので窓から抜け出し、自転車で友が丘中学校へ向かい校門のところに頭部を置く。    その時に、ポケットから挑戦状を出して淳君の口に挟んだと自供。     
       『 さあゲームの始まりです  
          愚鈍な警察諸君
          ボクを止めてみたまえ
          ボクは殺しが愉快でたまらない
          人の死が見たくてしょうがない
          汚い野菜共には死の制裁を
          積年の大怨に流血の裁きを
              ★SHOOLL  KILLER★ 
              学校殺死の酒鬼薔薇 』 校門に置かれていた「挑戦状」より

同年 6月28日 少年A  中学3年の男子生徒 14歳逮捕

少年Aの両親が出版した 「少年A この子を産んで」 の中でも言っているけど、自分の息子がまさか
あんな惨い事をしたとは今でも思えない。 何かの間違いであって欲しいっていろんな場面で話しているし、内容からすると、事件も普段と何も変わらず生活していて逮捕される日まで全く気が付かなかったみたい。   そんなの親なら分かりそうだけど、わからないのかな???   普通なら絶対に分かると思うもん、だから不思議。     早い事にもう10年です。 タエはこの事件は東京で見ています。 
当時の事を思い出すのは 神戸に須磨区って所があって、名谷の駅の近くにダイエーがあるみたいで
そのダイエーに普段から少年A は買い物に来ていたみたいなんですよ。 今でもそのダイエーあるのかな???  関東にある医療少年院に送致され・・・その後、しばらくの期間・東北少年院で過ごし、また再び関東医療少年院へ送致されて数年を過ごし、 平成16年3月10日 ついに少年A は仮退院した。どうやら今、現在は四国の祖母の下で暮らしているみたい。   インターネット時代のおかげで、少年A の所在求む!  とか、少年A は今どこに? なんて所在を常にチェックされてて、新しい名前で再出発したのだろうけど、その新しい名前でさえもが、公表されているし。  あれだけの犯罪を犯し世間を震撼させたのだから仕方ないのかも知れないけど、でもとりあえずはこの時代に乗って生きて行かなきゃならないし。  何年も普段の生活をしていなかったら、電車ひとつ乗るのも大変だと思う。  関東医療少年院を仮退院するのが決まった頃には JRの乗り方の勉強もしたらしいし。   東京だと「スイカカード」 があって 大阪で言う 「イコカカード」 なんだけど、そんな勉強も必要なんだと思った。
もうすぐ事件から10年 『土師 淳』 君も生きていれば今年で たぶん20歳。 
本屋で 「少年A」 って文字がタエの目に飛び込んできて思わず買って読みました。
ここでは明かす事の出来ない、まだまだ少年A に関すること全部は述べられないけど
この事件のきっかけで現在の少年法の改正につながったんだと思う。 
もっと他にも変えなくちゃならない法案ってあるけど。  日本の法律って古いと思うよ。 
けど見方になってくれる良い法律も確かにあるんだけどね。  


最後に・・・ 新潟で起きた 当時10歳だった女児が 監禁され19歳になるまでの間
男の傍から逃げなかったって事件。   この本も読んだけど、かなり悲惨。  かわいそう。
ここでは、あんまり言えないんですが、監禁されていたんだし。  それなりの事は受けてきたみたいで。
相手は男なんだし、1階の母親も事件が明るみになるまで2階に女性が居たのに気が付かないって。 
本当にそんな事って有り得るの??って思う。  ね?  下着とか、身の回りの物は男が用意していた
ようだけど、女の子だし毎月 生理もあっただろうに。  トイレは部屋の隅にある蓋付きのバケツ。
ベットの上から下の床には、トイレ以外下りる事を禁止されていたみたいで。 
なら、いったい何年もの間どうやって過ごしてこられたの? って感じでしょ。 
テレビは見てOKだって。  彼女は常に自分の名前を忘れないように 拉致された時、小学生だったから
ノート持ってたから、自分の家の住所、電話番号と自分の名前、家族の名前を書き記していたんだって。
そのおかげで、警察に保護された時ハッキリと自分の名前は名乗れたみたい。  親の名前も。
監禁の際殆ど動く事が許されていなかったので、足の筋力が衰えていて、自分の力では歩けない状態。
殆ど食事も与えられておらず、かなりの衰弱状態だったみたいで。  
逃げるチャンスはいくらもあったみたいだけど、何年も監禁状態が続くと、逃げたい気持ちは働くけど
逃げないんだって。   そうゆう立場になった時、人間はそんなふうになっちゃうんですね、きっと。
今は、退院し家族と暮らしているが、男性恐怖症になっているので父親とのコミュニケーションがとれな いみたい。   しばらくの間は、これもしょうがないです、お父さん。  母親のコメントは・・・・生きていて
会えたのならもう過去の事は忘れます。  止まった家族の時間をこれから精一杯いきます!って。
タエも同じ、同感です。  生きていてくれた事への感謝でいっぱいだと思う。  
もう二度と会えないと思った家族に再び会えたのだから。